武道家と神と神技 、神の心に近づく   

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以前にも述べましたが
神様が人間に二つだけ自由にして良い事を与えて下さった
其の一つが呼吸であって、もう一つが大変重要な心です、人は努力次第で心すら変える事が出来るのです、
しかし此れが又、厄介で大変難しい事なのです、人はそれぞれ誰でも、良い心と悪い心、優しい心と怖い心、思いやりのある心と思いやりの無い心、清い心と汚れた心、と何故か表裏の心を持ち合わせています。 神様はそれぞれを自由に使えるように作られたのでしようか、では何故どうして良い心、清い心、美しい心、優しい心、思いやりのある心だけを与え無かったのでしょうか、其れは良い事を行なえば良い心になり 悪い事を行なえば悪い心になると言う事を教え導く為にそうしたのでは無いでしょうか、
綺麗な空気を吸えば心が、すがすがしくなり
美くしい景色や絵画を観れば心美しく成り
心、優しい人に接すれば自分も優しくなり
人に喜んで貰える事をすれば自分自身も嬉しく成り、晴れた日には心も晴れるように
心は常に自分自身の行動と気分に伴って変化します、と言う事は、 
逆を考えれば人も努力さえすれば、心すら変えられると言う事に成って来ます。
こちらの機嫌が悪ければ相手もなぜか其れを感じ取って、いい気分がしない、しかしこちらが優しい心で優しい気分でで微笑んで居れば少しくらい機嫌が悪かった人も穏やかな気分に戻って来ます、
又相手が嬉しそうにしていると此方も何の理由がある訳でも無いのに嬉しく成って来ます、又、あたたかい心の人の傍へ行けば何故か自分もあたたかい心に成って来ます、楽しくほがらかな人の傍には、いつも人が大勢集まって来ます、  美しい人は、やはり姿、形も美しいのです、  意地悪な人は、やはり意地悪そうな顔をしているし、悪い事ばかりしている人は、やはり悪そうな顔をしています。
よく男前とか美人とか言われますが、男前と良い顔をしている人とは又、別のものだと思います、男前と言うのはただ形だけ整っており、現代風に顔が小さく、細面の顔だったら良いのであって、心や自分が今までやって来た事に対する自信と言った物が顔に現れて居ないからなのです、
其れに引き換え、良い顔をしていると言われる人は自信に満ち溢れ自分が歩んで来た道で立派に成功し、其の自信から溢れ出る、おおらかな心と、苦労もした時代もしっかり経験しているので、人には優しく、ゆとりと自信から来る確信を持つた顔をされています。      続く