武道家と神と神技 、  立ち方 

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立ち方

 今回は立ち方で有りますが
立ち方は普通、左足を半歩前に出し、やや半身に構え腕は左腕をやや肩の高さよりも低く右腕は腰の高さぐらいに力を入れづに少し触るくらいに構えるのですが必ずしも、此のように構えなくても両腕を下げて構えてもかまわない其の際、
両腕には決して力を入れづ腕を胸の高さに構えるので有れば、あたかも両腕が宙に浮いて居る様に力を入れずに構え決して拳は強く握る事もなく又、開く事もなく肩などにもほとんど力を入れず又、全く力を抜き切るのでもなく腹のヘソ下辺りに少し触る程度に浮いて居る様に構えるのです。
前足は膝をゆるく曲げて立ち後ろ足は半歩下げて膝の力を抜きカカトを少し浮かせてつま先とヒザで屈伸してバネを使える様にして立ち、六分四分ぐらいの割合で前足の方に多く体重を掛け足の裏は裏全体で床を踏ん張るのでは無く足の裏に掛かる体重が前後左右どちにても自在に掛かる様にヒザや、ふくらはぎ、太もも、の力を極力抜き、総ての筋肉が
つき立ての餅のような腰のある柔らかさと弾力が無くては成りません。
後ろ足はカカトを少し浮かせヒザは曲げづに伸ばし其の少し浮かせカカトの分だけ、つま先で全身の体重をバネとして吸収し、前に踏み出す時には、其の後ろ足のつま先で床を蹴って其の勢いで前足を前に踏み出すのです。
後ろに下がる時は、前足の爪先で床を踏ん張るように蹴って、其の勢いで後ろ足を後ろに下げて、下がるのです、
この前足と後ろ足のスタンス(間隔)は最初に構えた時と、技を掛けて前に出た時も、間合いを切って後ろに下がった時も、この間隔は常に一定でなければ成りません
腰から上は常に前足と後ろ足の真ん中の上に正しい中心を保つてほぼ垂直に立ちます又、体を転身さす時は前足を軸にして前足で床を蹴りながら、腰を中心に右 又は左に後ろ足を移動させ同時に腰を後ろ足に合わせて、ひねり常に
ヘソの中心は常に相手に向けて居なければならない。

武道家と神と神技  武道腹式呼吸 その2

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続き
前回は腹式呼吸法のやり方について書きましたが其の続きに成ります
最初の内はたった三回か五回もやると顔が真っ赤に成り、汗がじんわり出て来ましす、其れだけ血行が良く成り新陳代謝が活発に成って来た証拠です、しかし最初は苦しいので、直ぐに挫折しがちなのですが、健康の為だけでなく
精神的にも大きなプラスに成りますので是非、続けてやって下さい、此れだけで他の有酸素運動の数十分もの、又、ランニングをした時の数キロメートルを走るのと同じ効果が得られます、
ここで一番大切なのは、ただ単に苦しいのを我慢して 息を吐いたり吸ったりしているだけで無く
吸う時は、大げさに言えば宇宙の正しい良いエネルギーを頭のてっぺんから、いっぱい身体の中に
取り入れるようなイメージで又、
吐き切る時は日常の嫌な事や
身体の中の悪い成分を全部外に吐き出すようなイメージで行なう事が大変重要に成って来るのです。
そして最終的には、この腹式呼吸法を常時、仕事をしている時も
食事の時も、人と会話をしている時も、寝ている時も、自然に自分では無意識の内に腹式呼吸に成っているのです。
此れを利用している一番解りやすい例としては、禅寺で修行している禅僧である、修行僧は座禅を組んで、この呼吸法で静かに、
ゆっくりと大きく長く呼吸する事で精神の統一、落ち着き、安定を手に入れ、集中力を増し、五感を高め 聞こえ無い音を聴き、見えない物が見え、人の心までが見えて来ると言います、
何も位の高い修行僧だけでなく
我々でもこの呼吸法をマスターすれば少しはこの禅僧に近づけ、又、神さまにもほんの少しではありますが、近づく事が出来るのであります、其の最終目的が神技に近づく事なのです。

武道家と神と神技  武道腹式呼吸法

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武道腹式呼吸

神様は人間を作る時に二つだけ自由にしていい事を与えて下さった、  其の先ず一つは呼吸です、外は例えば、心臓を止めたり早めたり、  ゆっくりしたり、する事は自分自身ではどうしてもコントロールする事が出来ません、また肝臓も 腎臓も 胃も 腸も同じです、だが呼吸だけは   誰でも早めたり、ゆっくりとしたり、長くしたり、短くしたり、止めることも出来るのです、この呼吸法には 二種類の方法があって 胸式と腹式があって普段、普通の人が何気なく普通に息をしているのが 胸式呼吸法であって、この胸式呼吸法であれば肺の全容量に対して(30~35%)程度しか使用されていなと言われていますが、其れに比べて腹式呼吸法であれば(50~75%)位の量の空気が肺にの中に入ってくると言います、      よく考えると人は、興奮している時は呼吸は荒く短いのに気ずいた事が   あるはずです、また逆に 雄大な山の風景や大海原、美しい音楽、   美しい絵画や素晴らしい優雅な踊り等を観ている時の呼吸は、ゆつくりと深く大きく成っている事に気付いた事は有りませんか 神様から許された此の呼吸がコントロール出来るせっかくの力を大いに利用させて頂いて、この呼吸法を身に付ければ大いに いろいろな所で役に立つのでわないかとかと思うのです、                              其れでは腹式呼吸法とは いつたい、どの様にすれば良いのかと言いますと読んだ字の通り、お腹をへ込ましたり、膨らましたりして、やるのですが、とわ言っても大変解りにくいかと思いますが 第一段階の練習方法として、まずおへその少し下あたりを両手の手のひらで押し当てます、お腹をゆっくりと押しながら、この時は口でも鼻でもどちらでも良いので、ゆっくりと大きく息を吐きます、この時は息を一切残さず全部吐き切るつもりで息を吐いて下さい、吐ききったら今度は両手で押し込んでいた手をゆっくりと緩め、お腹を膨らませながら吸う時は必ず鼻でゆっくりと吸いながらお腹の中に空気がいっぱいに入って来るのを感じながら もう此れ以上は入らないくらい、いっぱい息を吸うのです、 次に又、最初にやった様にお腹をゆっくり押さえながら、ゆっくり大きく息を吐き出してください、ただ此れだけです。        この繰り返しを一工程に三十回位の割合でやって下さい。 此れは第一段階です、始めは苦しくて長く大きく、    吐いたり吸ったりすることは難しいと思います、 此れが自然に出来るようになると、次の段階として,  ゆっくり大きくお腹を膨らませて息を  吸い切った時点で息を止めるのです、これも最初は息が苦しくて直ぐに息を吐きたく成るので、なかなか止める事わ出来ませんが一瞬でも止めるように心がけて下さい、止めたら又同じように、ゆっくり大きく吐き始めて吐ききった時点で又、一瞬止めるようにします、此れが少しでも出来るようになったら、その止める時間を少しずつ長く止めるようにします、慣れて来ると吸うのに、ゆっくり数えて十くらい、止めて又十くらい、そしてまた吐くのに十くらい数えられるようになります、勿論この数が増えれば良いのに越したことは有りません。

つずく 

武道家と神と神技 、先の先を極める。 

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 先の先を極める
それでは今回から実際に相手と向かい合って自由一本取り研究組手と言うのを始めて行こうかと思います、但しこの組手は試合に出て勝つための組手でわなく、あくまでもどうしたら相手の氣を抑えて相手が攻撃を始める準備をして、いよいよ飛び込んでくる、その一瞬間を見切って相手よりも「先を」取って完璧に先取りをしなければならない、殆ど同時の突き   「合突き」でわなく完璧に相手の攻撃を潰してしまう技を、わざわざ此の歳になつてから研究し始めました、年寄りの冷や水と思われるかもしれませんが死にみやげに完成させたいと思っています、私の組手の相手をしてくれるているのは、私の道場で二十年以上稽古を一緒に行っている、全日本空手道連盟公認四段の師範代に相手をしてもらい日々、ああでもない、こうでもない、と言いながら二人で研究をしている最中で、いまだに満足のいく完成はしておりませんれん、其れでは     先ず(始め)の声がかかった瞬間、相手の気迫が、こちらの氣を圧倒するような氣で構えられ、其の気迫のままで間合いを取られてしまって、其の流れのまま攻撃を仕掛けられれば、この状態だと相手の方がパワー、スピード、タイミング、迫力、気迫、が既に勝っているから全く其れに対処出来なく其の攻撃を抑えたり先を取ったりする事が出来ない、せいぜい間合いを切って下がりながら受けるか突きを出すのが精いっぱいに成ってしまいます、それ故に「初め」の声が掛かった瞬間が最重要であるのです。   先ずその瞬間に相手の氣に負けることなく、又それ以上の氣迫で構え、初めに、氣で 相手の出合いを止めてしまわなければ成らない、  最初に構えた時点で相手を氣で抑えて相手の動きを止めしっかりと相手の「目」を見据えて今までと違う僅かな「目」の変化を感じた瞬時に相手より先に攻撃を仕懸けるので

す。                            結論として相手が攻撃を懸けてくるのを待つのでわなく常に先、先、と攻撃を懸ける気構えを継続して其の瞬間に相手の目の変化を少しでも感じて、見て、先に飛び込むのです。大事なのは其の瞬間に決して躊躇しないで思いきりよく留目をさします。                       次回からはメンタルな事等、腹式呼吸、瞑想、自然の中での物事の考え方等から平常心の持ち方、迷ったら原点に戻れなど自分の経験は知り得た事など書いていきます。

相手の目を見て動きを見切る

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相手の目を見て動きを見切る

 目で見た物を脳に頼らず全ての伝達経路を最小限に断ち切って、直接反射神経を作用させて各神経、各筋肉に反射的に作動さすのですが 私自身 此れまで相手が動き始めるのを見て 後の先を取るか 相手が動く前に、先の先取るか其れをどう何を目安に見切るかが 最大の課題で有りました、相手と向き合った時、相手とのレベルのの差が大きくある場合には 相手の構え、動きを見ても、相手の氣を感じても、相手を抑えたり 相手よりも先に攻撃を仕掛けたり 梳かしたり出来るのですが 相手のレベルが同程度かそれ以上であれば相当に難しくなります、私の経験から言えば 先を取られて先に攻撃を仕掛けられた場合、七,八割が先の方が有利なように思われます、後の方がどうしても僅かながら遅れを取ってしまいます自分では自信を持って返したと思っても 相手側に旗が上がるのわ やはり先に攻撃を仕掛けた側が有利に成るのです。しかし何とかこれを見切る方法が無いものかと此の歳になってもう一度やり直して私の道場の長年一緒に稽古をしている師範代と改めて向かい合ってみました、何故もっと早くもっと若い内に此れを考えようとしなかったのか、若い内は、ただ数多く人よりも長く稽古さえすれば其れで強く成れると信じてがむしゃらにやって来ました、しかし此の歳に成ってやっと解ったと言うか此の歳に成ったからこそ解った事が有りました。 結論を申し上げますと 

相手の僅かな目の動き、目の変化を見抜くことです、目は口程に物を言う顔は笑っているが目が笑っていない、目を見れば本当の事を言っているか嘘を言っているか解る、ごく一般によく耳にする言葉です、誰でも普通に知らず知らずのうちに感じ取っている事なのですが其れを私達は利用しなく成っただけなのです、                      人は誰でも、能力が有る無しに関わらず初対面で 人に合った場合でもこの人は優しそうな人だとか、賢そうな人 気がきつそうな人 悪そうな人  意地悪そうな人等、自分に危害を加える危険性があるかどうかを知るために、其れは人類がまだ言語と言うものが無かった時代は、全て相手の顔を見て判断したことだと思うのです、 そこで相手の顔のどこを見ますか    鼻の高い低いですか、耳の形ですか くちびるの大きさですか 顔の大きさですか、違うでしょう、其の答えは唯一つ、相手の目でしょう、    ちなみに男女の愛の深さを確かめ合うのも目と目を見つめ会うでしよう、  しかし一番大事なのは、それをどうやって見極めるのが一番の問題です。  次回からは実際に相手と向かい合ってみて実戦を通して実際にどう使うか文章にできるようにして行きたいと思います。

神に近付く  PART2

 

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  神に近付く PART2

 どうすれば相手の攻撃を見抜いて相手よりも先に動き、相手の攻撃がこちらの有効範囲内に入る前に其の攻撃を抑えて無効にしたり相手よりも先に此方の攻撃の方を先に決めることが出来るのか、その結論を言いますが、しかしながら其れが解ったからと言って明日から直ぐに誰でも簡単に出来ると言う物では有りませんが、其の技を習得するする為の努力の切っ掛けにして下さい。 以前の項で何度も繰り返し述べましたが、目から入って来た情報をまず脳に送り脳で其の情報を脳が判断し、其の判断にもとずいて脳から各神経、各筋肉に命令伝達を送り返す為に、時間差タイムラグが生じその分、全てに遅れを生じるので有るから其のタイムラグを無くしてしまえば良いのです、でわどうするかと言いますと、全ての無駄な伝達経路を即座に打ち切ってしまい脳に行かずに脳の命令を待たずに、目で見た物をダイレクトに直接に、腕の神経筋肉、足の神経筋肉、を反射的に動かすのです。要は反射神経だけで受け攻撃に変えてしまうのです、しかしながら言葉にしたら簡単ですが此れが神技と言われるがゆえに、ここまで来るのには相当な時間、稽古鍛錬が必要です、これは例えて言えば事故や病気で右脳を損傷した人が其の右脳の機能を左脳に置き換えて何不自由なく生活出来ている人が居る様に訓練、鍛練を繰り返して行う事によりその努力の結果、気が付けば出来ていた事に気ずくような物で、各企業の製造業で勤続数十年以上の大ベテランの職人さんが、長年の経験で音や匂いの僅かの違いを感じ取り、ピタリと其の故障の箇所を言い当てるのと似たのと同じ様な職人さんの業の様なものかと思います、 先ず相手の氣や呼吸を読んだり、間を計ったり他にも全て諸々の事が総合して一つの物を完成させなければなりません、 私自身この年に成るまで、いろいろな相手と向かい合って来て、やっとそうでわないかと気付いた事で一番大事な事は目付けである、向かい合った相手の何処を見るか何処の微妙な変化を感じ取って反射的に反応するか、まだ未熟な時は、相手の一点だけを見つめるのでわ無く、胸を中心に身体全体を包む様に見る、あいての微妙な肩の動きを見る、相手の氣の高ぶりを読む 相手の微妙な呼吸の吸う吐くの変化を読む等、これ等一つ一つも大変重要で必要な事なのですが、一番大事な所わ、やはり相手の目である事にやっと気付きました、しかしながら目の何処を見るか、何を見るか、どうすれば其の細かな変化を読み解くかに関してわ、此れからゆっくりと時間をかけて書いて行きます、しかしながら此れらは本当に微妙な事柄なので上手にうまく文章に書けることが出来るかどうかわかりませんが、もう一度相手と向かい合って何度も繰り返して正しい結論を導き

出して行こうかと思います。                    

神に近付く  PART1

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    神に近 付く PART1

   特に優れた武道家と言うのは

そう多くでは有りませんが しかしながら各武道、各流派の中のトップクラスの中には確実に私達が知り得る範囲内以上に存在されております、しかしながら「本物は表に出ない」と言う言葉が有るくらい田舎や山の中で、ひっそりと一子相伝の形を取って何代にも渡って続けて居られる流派も有ります、其れは其れとして

特に優れた武道家の中でも、「多方(おおかた)は其処まで成り」の位とまだ「其れの一つ上」の位が有ります、

其れは神に許されて限りなく神様に近づく、神様のお傍、神様の横に座れる位(レベル)の方の事を言います、  ここで大事なのは人は神に限り無く神に近づく事が出来ても決して神様に成る事わ出来ません、

何故ならば人は力が付けば付くほど偉くなり、傲慢にも成り人に対しての影響力も高く成ります、其の力を良い方にだけ使うので有れば良いのですが、どうしても人で有るが故に其の力を悪い方にも利用してしまいます、其れが人が限り無く神に近づけても決して神様には成れ無い理由です。

神に限り無く近づくのが究極の最終目的で有り最終の結論であります。

なぜ優れた武道家は相手の攻撃よりも先に有効に打ち込んだりその攻撃をつぶしてしまったり、無効にしてしまうことが出来るのか

解りやすく説明しますと以前にA.Iロボットのジャンケンロボットの話をしましたが相手が動き始めたのを見た瞬間、例えば相手が蹴りを仕掛けて来た時、相手の足の裏が床から離れた瞬間には反応していなければもう既に遅いのです、相手が蹴ったひざ頭が腰の高さまで上がっていたり肩の高さまで来てから顔面をカバーしていたのでは、すでに遅く相手の回し蹴りを受けてしまいます、 其れではどうすれば相手よりも早く動くことが出来るのかはそう簡単では有りませんが出来るだけ解りやすく書いていきたいと思います。 其れは以前の項で書いたように目で見たものを脳に送って脳で判断して又、其の脳から命令を各神経、各筋肉に出してもらつて初めて体が動き始めるので、 そこでかなりの時間をロスしてしまいその為相手の攻撃に対処する前に気が付けば相手に入れられた後なのです、そこで長年にわたり稽古し考え、研究と言えばおこがましいのですが、此の年齢になつてやっと、そうではないか思える所が有りましたので次回から報告させて頂きます。